自分を認めるとは?1

今日は、「自分を認める」ということについてふと考えたことを書きたいと思います。
なんどもブログで書いているように、私は自己肯定感が低いです。
鬱になって自分が毒親育ちのAC(アダルトチルドレン)だと気づいてから、自己肯定感を少しでも持ちたいと、「自分で自分を認めてあげよう」と「大丈夫、私は大丈夫」と自分を励ましてきたところがあります。
でも今日ふと、本当にこれでいいんだろうか?と疑問を持ってしまいました。。
自問自答しつつ悩みながら書いてるので、ちょっと内容がまとまっておらず読みにくいかもしれません・・・!!

 

そもそも、なんで疑問を持ったかというと、「良妻賢母」という言葉への批判記事を読んだことが発端でした。
まぁ、この言葉のイメージは悪いだろうなというところは否定しません。
私がブログで紹介している「新・良妻賢母のすすめ」も、前時代的だなぁと取り入れたいと思えない部分は、私は取り入れていません。
が、やっぱり自分が一部取り入れているものが、全否定されていたことでちょっとムカッとしたんだろうと思います^^;;

その記事は要約するとこんな感じでした。
「良妻賢母になろうと努力するのは馬鹿げている。今のままのあなたを認めてあげましょう」
うん。後半は私も似たようなことをよく言っています。
努力することを”馬鹿げている”と一刀両断されたところに、きっと私はイラっとしたんでしょうね^^;;
私は、良妻賢母や愛され妻になろうと努力することが馬鹿げているとは思いません。
むしろ、素敵なことじゃん?と肯定的に捉えています。(だから私自身も実行中です!)

 

ただ、その原動力となる部分には注意が必要かなと思います。
「夫に愛されるために」やるのか、「自分がそうなりたいから」やるのか。
その批判記事が「夫に愛されるために」やることが”馬鹿げている”という書き方であれば私もここまで悶々としなかったのかもしれません^^;;
そもそも私が「新・良妻賢母のすすめ」を手に取ったのは、主人の愛情をどうやったら取り戻せるか、ということが動機でした。
動機は「夫に愛されるために」だったけど、今は「自分がそうなりたいから」やっている、という状況です。

さて、前置きが長くなりました。
ここまで前置きです!笑
私が今回書こうと思ったのは、”馬鹿げている”の後の、「今のままのあなたを認めてあげましょう」という部分について!
長くなりそうなので、数回に分けて書きたいと思います。

 

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