自分を認めるとは?2

良妻賢母や愛され妻になろうと努力することを馬鹿げている、今のままのあなたを認めてあげましょう、そのままで大丈夫、という言葉にモヤモヤしたという記事の続きです。
私もこれまで、今のままで大丈夫、という暗示をかけてきました。
でも最近、なんだかそれがきついというか、苦しいと思うことがあります。

 

そもそも、”自分を認める”って一体なんだろう?
基本的には、自分が出来ている事、持っているものを確認する作業だと思います。
お弁当作った→出来た!、小言を言うのをグッと堪えた→出来た!、毎日筋トレ→出来た!とかね。
笑顔で居ることが出来てるし、趣味も楽しめてるし!
あ、ちゃんと出来ているじゃん、私、大丈夫じゃん、と自分を認めることで安心を得ることができます。

でも、私はこれをする時、自分の嫌いな部分に目を瞑っています。
だからちょっとモヤモヤしてしまう。
イライラして冷たい態度を取ってしまう自分、口角が下がっている自分、嫌い。
小言をグッと堪えて、堪えて、溢れてしまって爆発させてしまう自分、嫌い。
だって、そこもあそこも嫌いだし、そのままの私でよくない!
嫌いな自分に蓋をして、好きなところ、頑張っているところだけ見て、「今のままで大丈夫」と思っていることに気づいてしまったんですね。

 

多分、私は自分の認め方を間違っていたんだと思います。
自分の中に、嫌いなところだってある。
そこを見ぬふりしては、自分を認めたことにはならないんだと考えるようになりました。
その嫌いな部分も、自分の一部であると、認めてあげること。
その嫌いな部分と今後どうやって付き合っていくかは、認める工程の後の工程。
だから、”自分を認める”時には、嫌いなところも含めて自分であって、そこも含めて自分は大丈夫、って思えないと、自己肯定感は高まらない。
それ無しに”自分を認める”という行為による、安心感は得られないのだと気づきました。

私は、”自分を認める”という行為は、鏡で全身を確認する行為と似ているなと思います。
髪型OK、服装OK、でももう少し足は細くならないかなぁ。
そうやって、自分の姿を確認しますよね。
その鏡に映った姿をみて、足細くしたいなぁと思っても「こんな太い足、私の足とは認めない!」とはそうそうならないですよね?
内面についても、同じかなぁと。

 

口角が下がっている私なんて私じゃない!ニコニコしている私こそが私らしい!と、私は今まで口角が下がっている自分は自分じゃないと否定してた。
“自分を認める”という行為においても、自分を癒そうと、口角が下がっている自分は見ないふりして、自分を否定して、更に自分を苦しめていました。
いや、今までは、自分自身をそうやって苦しめている自覚もなかったんですよね。
ある程度までは見ないふりは有効で、自分を癒すことが出来ていましたが、無理が生じてきたようです。

 

次で終わります!

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