レスする側の苦しみ

土曜日の記事を書いていて気づいたことがあります。
以前、レスしている嫁の気持ちという記事を書きました。
この記事の中で、主人のお誘いを断っていた時、「特に何も考えていなかった」というようなことを書きました。
今回、ちょっと言葉に語弊があるなと思ったので、補足したいと思います。

 

何も考えていなかったのは、主人からセックスレスのつらさを切々と訴えられるまでの話で、訴えられてからは私もいろいろ考えてきました。
考えてきたから、このブログも書けているはず。。
ただ、「セックスレスがツライ」と訴えられたから「ハイ、じゃあしようか」とはならない、というか、なれないもので。。
断る側にも断るなりの理由があります。
何も、相手を傷つけようと思って意地悪で断っているわけではありません。



理由は人それぞれだと思いますが、私もそれなりにいろいろな理由がありました。
今なら、この記事を書いた時よりもう少し深く考察できるように思うので、機会があればまた、理由についても書きたいです。
「セックスレスがツライ」と訴えられている時、私はいつも主人から怒られている、責められていると感じていました。
私が断るのが悪いんだ、と。
でもなぜしたくないのか応じられないのか、自分でも理由がわからず、主人にも説明できなかったからひたすら謝るしかありませんでした。
「できるだけ応じるから」と言って、ほぼ毎回その場を収めていました。

 

この「できるだけ応じるから」も曲者で、言った時はそう思っているものの、いざその場面が訪れるとやっぱり応じられなくて。
主人は「できるだけ応じるから」の言葉を信じては裏切られる、それが悲しくて辛いからセックスレスの話をもうしたくない、と言ったこともあります。
話を戻しますね。
そうして話し合いでは毎回主人から責められていると感じ、より萎縮し頑なになってしまったという部分もあるんだと思います。



そして、私を責めるのは主人だけじゃありませんでした。
私も私自身を責めました。
「なんでできないんだろう」
「なんで私はセックス好きじゃないんだろう」
「なんで私は旦那くんを満足させてあげられないんだろう」
そんなことを考えていると、だんだん「私なんて」という思いに囚われてしまって、セックスどころじゃなくなっていきました。
さらに「主人が私のことも考えずに求めてくるのが悪い」というような思考に陥ることもありました。

 

なんだか言いたいことがまとまらないけど。。
つまり、私が言いたいことは、レスしている側ももがき苦しみ、自分で自分をを責めているということ。
セックスレス関連のブログを読んでいると、圧倒的にレスされている側の立場のブログが多いのですが、自分がいかにつらい思いをしているか、夫(または妻)がいかに酷いやつであるか、という内容がよく目に付きます。
そういうブログを読むたびに、「そんな風に自分のことを恨み憎み蔑んでいる相手とセックスなんてできるはずがない」という風に思ってしまいます。

 

長くなったので、次に続きます。

 

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